笠利病院だより

まるで青春そのもの

私が奄美大島に初上陸してから、丸3年が経ちました。今振り返ると、奄美生活はまさに第2の青春のようで、まさか40過ぎてこんなに心身ともに鍛えられる日々が来るとは思っていませんでした(笑)。

閃きで来た奄美、閃くということは「きっと何かあるんだろうな」と思っていました。その答えが今わかりました。

それは「人の可能性は未知数であること。継続はすごい力なり!」ということです。


パラグライダー

これは奄美に来て始めたカイトサーフィンとパラグライダーから身をもって経験しました。

私にとっては、両方修行ですが、特に最初に始めたカイトサーフィンの経験は私に大事なことを教えてくれました。

「滑ることできたらカッコいい!!」と思い、始めたカイトサーフィン。楽しい!!と思えるまでが長~い道のりでした。最初の4か月は立って全く滑ることができず、海に浮かびながら「なんでやってるんだろう?」と自問自答(笑)。

でも途中で辞める選択肢がなかった私はとりあえず続けました。そんな中、周りにサポートしてもらいながら12月にやっと滑ることが出来たんです。周りのみんなが自分事のように喜んでくれたことを鮮明に覚えています。今もその動画みると感動しちゃいます。

その後も修行は続き、「カッコよく滑る」までには時間が必要でした。


カイトサーフィン

振り返ってみて思うことは、苦手要素しかなく運動神経が乏しい私でも、ほぼ毎週末海に通いコツコツやっていけばできるようになるんだということ。最初はボードを履いて立つことさえ出来ず、前にダイブし海水がぶ飲み状態(笑)。

フルマラソンより過酷でした。今は「カイト楽しい!!」って思えますが、以前は部活もしくは修行でした。現役陸上部時代と同じくらい本当よく頑張りました(笑)まさに第2の青春!!

このカイトサーフィンの経験があったから、今の私は奄美にくる前と比べ、「やりたいことは、とりあえず挑戦しよう」という気持ちになっています。そのチャレンジによって、得られるものが素晴らしいいことを知ったので。

また、臨床場面でも人の可能性は未知数であることを多々学ばせていただきました。
例えば、脳出血発症して1年以上経過し食事以外はほぼ寝たきり状態の方が、リハビリを実施していく中で平行棒内を介助で歩けるようになり、トイレにいけるようになったんです。

これには誰もがびっくり!その時「0.1%でも可能性があるのなら、理学療法士として諦めてはいけない」ということを改めて強く感じました。患者様の嬉しそうなお顔を見るたび、私この仕事好きだなって思うんです。

私がカイトサーフィンを通して経験したことは、周囲の温かい根気強いサポートのおかげです。患者様は障害のある身体で新しいことにチャレンジしています。

それをサポートするのが理学療法士であり、高齢だから・発症から期間が経っているから難しいだろうと線引きするのではなく、少しでも可能性があるのならそれを最大限に引き出せるPTでありたい。

最終目標に向かい1つずつ小さい目標をクリアして患者様と一緒に喜ぶことができるPT、そんなPTでありたいと20年間ずっと思ってきましたし、ここ奄美での経験を通してより強くそれを感じました。

「人の可能性は未知数である」こと、これを学ぶ為に奄美に来たんだなって思っています。